2015-04-07 第189回国会 参議院 財政金融委員会 第7号
そしてその後、五・一五事件で、たしかあのときは犬養毅も暗殺ということに多分なったんだと記憶しますけれども、その後、斎藤実内閣になって、またもう一回高橋は大蔵大臣を引き受けさせられて、その後、引き続いて、あれは二・二六ですから、岡田啓介内閣のときにもう一回また大蔵大臣ということを任命されるんですが、このときに高橋是清は暗殺されるということになったんですが、何で暗殺されたかと、そこが一番問題である。
そしてその後、五・一五事件で、たしかあのときは犬養毅も暗殺ということに多分なったんだと記憶しますけれども、その後、斎藤実内閣になって、またもう一回高橋は大蔵大臣を引き受けさせられて、その後、引き続いて、あれは二・二六ですから、岡田啓介内閣のときにもう一回また大蔵大臣ということを任命されるんですが、このときに高橋是清は暗殺されるということになったんですが、何で暗殺されたかと、そこが一番問題である。
そのとき、日本は犬養毅内閣、斎藤実内閣の時代だと記憶しますけれども、そういう時代にあっては間違いなく日本はどうしようもないといったときに、元内閣総理大臣だった高橋是清という、原敬の後、出てきた高橋是清という人が、デフレにはデフレ対策だといって、公共事業やります、雇用対策やりますと、徹底して社会インフラの整備をやって、間違いなく今次不況を世界最初に脱出する、日本は世界最初に脱出せり、これはたしか時のウォール・ストリート・ジャーナル
デフレーション不況というのは、二十世紀ではこれが最後だったんですが、このときの影響をもろに受けて、高橋是清は、その後、犬養毅内閣で大蔵大臣をしておられると思いますが、斎藤実内閣とそれはずっと続きまして、その間、大蔵大臣をしておられたときに、そういうことを言っておられるんだと思っております。時代背景はデフレだった。一つ。 二つ目、合成の誤謬。
そこで、歴史は、一番最近のデフレーションによる不況は、これはアメリカの一九二九年のウォールストリートの株の大暴落、あれの波及によってざっと起きたあのデフレーションが日本も影響を受けて、あのときは犬養毅内閣、岡田、斎藤実内閣辺りの時代だったと思いますが、そのときに、いわゆる高橋是清という人を大蔵大臣にして、結果的にデフレ対策というのをやったんですけれども、これが歴史だと思いますので、我々はその歴史から
多分、デフレを最近でやったのは、一番直近では、一九三〇年の高橋是清大蔵大臣、多分あのころは犬養毅内閣、斎藤実内閣のころだと存じますが、そのころにやった以外はないんです。
これに日本国民は全部が乗りまして、ある程度、全部じゃおかしいんですが、ある程度乗りまして、そして時の斎藤実内閣ですか、斎藤内閣を後ろから押しまして、早く脱退しろ早く脱退しろというので国際連盟から脱退をしてしまったと。 で、この昭和八年以来、国際連盟から脱退したということは、激変する国際情勢から情報がほとんど取れなくなったと。